2014年2月 5日 (水)

Paint It White

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2014年1月 5日 (日)

海辺の道

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2013年12月 1日 (日)

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2013年11月14日 (木)

ぼくのともだち

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2013年11月12日 (火)

言葉以外で考える

ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard, 1930- )という有名な映画監督がいるが、彼が言ってることとして、
「文盲教育はすべきではない」
という、やや過激な言葉がある。文盲教育というのは、いわゆる読み書き教育のことで、われわれが小学校に上がってから(もっと前から?)教わる、文字を理解し表現するレッスン、それをやめるとどうなるか、ということを提言している。
それは私にとって衝撃的だった。日本国民の識字率は世界随一であり、われわれはそのおかげでさまざまな文学から芸術的な刺激を受けている。それが能わずとなれば私の前にはどんな世界が広がるのだろうと、すこしワクワクしたりする。
なぜ、ゴダールはそんなことを言うのか。分かりやすい例を引用。

コペルニクスにしてもガリレオにしても、地球がまわっているということはすでに見てとっていたのですが、でもかれらはあとでそれを言葉で表さなければなりませんでした。そしてほかの人たちは、かれらがそれを言葉で表したがために、それを信じなかったのです。
(ジャン=リュック・ゴダール『ゴダール 映画史』p237)


言葉というものはそういうものなのかもしれない。コペルニクスでなくとも、われわれは日常で考えたことを人に伝える際、言葉でしか伝えられないことにもどかしさを感じることは多いのではないだろうか。それは語彙力表現力の不足とは別に、言葉というものの力の限界を知ることである。
そんなときに、私などは、言語以外でもコミュニケーションができればいいのに、などと思うのだ。
ゴダールの真意はなかなか深くて読み取れないが、そこに映画の可能性を見ているのだろう。それはとりもなおさず、「見る」ことの重要性なのだ。
われわれななんでも「考える」。考えるとき、自ずとそれは言葉によっている。私なんかは、考えているときは誰か(頭の中の仮想の実在・非実在の誰か)との会話形式で考えている。
そうすることで抜け落ちている何かはないとは言い切れない。そこで、考えることをやめて、もっと「見る」とどうなるだろう。

この宇宙の森羅万象は、分け隔てなく繋がっている。言葉はそれを分かりやすく「分ける」行為に他ならない。
ここからここまでが「青い」で、ここからここまでが「愛」で、ここからここまでが「公務員」で……といったふうに。
本来ならその言葉言葉の周りには、今現在言葉になっていない(けれど大昔からそこにある)何かが存在している。
イメージによる思考がそれをすべてカバーしきれるとは言えないかもしれないが、料理されていない未知の事象をコミュニケーションできるとすれば、それはそれでとても面白いことだと思うのである。

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2013年10月29日 (火)

静かな日々

さいきんは世間が静かになった

もちろんご飯は出てくるし星も流れる
戸籍上の住所も変わらない
雨が降ればなるべく濡れないようにして
お父さんの機嫌が悪いときはなるべく穏便に済まそう
散歩になれば全力疾走する
郵便は翌日に届く

だが、どうも静かになった

道を聞かれることもなければ
交通事故にも遭わない
お祭りにもいかなくなったし
白いおおきな船もやってこない
思えばながいこと冬も来ないようで
はつ恋の女の子の名前も思い出せない

………カーム………
しあわせかもしれない

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2013年10月26日 (土)

雨を待つ人

 窓に張り付いた雨粒は、その自らの重さで垂れては、他の雨粒と合流したり、あとから降ってくる雨粒に当たって筋となって垂れたり、あるいはその筋どうしが合流したりして、見る者を飽きさせない。私はそんな雨粒の織りなす動きをもう何十分も見ていただろう。見ているうちに、何を考えていたのか、忘れてしまったようだ。たしかに何かを考えていたのだが。
「俊彦さん」
 という声で我に帰った。妻の声だ。
「おい」
 という気弱な返事で振り返ると、部屋の入口に、妻が顔だけ出している。
「いらっしゃいましたよ」
「そうか」
 今日の午後三時に、旧来の友人である清司がここに来ることになっていた。ふと時計を見ると三時十五分だった。
 玄関に降りて清司を迎えると、元気がないように見受けられた。が、そのことは口には出さず、
「さ、さ」
 といつもの様に二階の私の部屋に迎い入れた。
 この八畳の自室には、ささやかな蔵書を納める畳二枚分ほどの書棚と、古いレコードを引っ張りだして聴くためのレコードプレイヤー(とレコードの数々)しか置いていない。
 二人とも座りもしないうちに清司が、
「こないだの忠平さんのライブ、最高でしたよ」
 と言った。「忠平さんのライブ」というのは、ちょうどひと月前に、我が家の蔵で開催した、佐々木忠平というミュージシャンのライブコンサートのことである。一時期の日本のロック界を席巻した、地元出身のバンド「めんたんぴん」のリーダーである。その彼のライブを私が取り仕切ったのだ。
「な。よかったよな。やっぱり声が違うよ。あれだけの図太い声、おれも出せたらいいのに」
「本当ですよ。ギターも上手い。あたりまえか……」
「いや、おまえはおまえでかなり重みのある声してるぜ」
「そうっすか? いや……」と言いながら、カーペットを敷いた床を見回している。
「まあ、座れよ」私は、窓辺の独り掛けソファを差して言った。小机を挟んで、私も同じ型のソファに腰を下ろした。「お客さんもかなり入ったし、大成功だったな」
 その後も彼に貸していたCDの感想や、今度の選挙のこと、前日に死んだ有名女優の話、お互いの同学年の娘の近況(反抗期なのか、彼は口をきいていくれないらしい。私の方はそうでもないのだが……)などを話し合ったあと、清司はこれから仕事があるということで、帰っていった。玄関で、
「雨、止まないな」
「秋の長雨ですね。今日はありがとうございました」
「うん、また」
 とだけ話して、見送ったら、うら悲しい気分になった。誰かを家に招き、その人達を見送ったあとの虚しい気分はいつもと変わらなかった。ただ、この細い雨が、いくぶんかそれを増しているようにも思える。
 清司の「仕事」という単語で、私もここでやるべき小さな仕事があることを思い出して、茶の間でノートパソコンを開いていたら、娘が部活から帰ってきた。ただいま、おかえり、の挨拶のあと娘は、疲れた、かったるい、めんどくさい、のいつもの口癖をひととおり吐く。私は、またそれか、と思いながら、仕事に取り組んでいた。私の仕事というのはいわゆる店舗設計で、今日はその図面の修正をしなければいけなかった。修正は一時間ほどで終わった。妻にコーヒーを入れてもらおうと思い、呼ぼうとしたのだが、気配がない。
「おーい」
 と大きめの声で呼んでも返答はなかった。娘の部屋に行って、行方を聞いても、知らないの一言。それどころか、これからすぐに友達と遊ぶ約束があるのだと言う。トイレや物置部屋も探したが、妻は見当たらなかった。私は、茶の間の電話機で妻の携帯電話に連絡を入れてみた。しかし応答がない。そういえば、清司が来たときも、茶の一つも持って来なかった。私に告げずに買い物にでも出掛けたのか。
 玄関で妻の靴がないことを確認していると、娘が「いってきまあす」と一言、駆け足で出掛けていった。
 背後からこちらに忍び寄る影を感じたと思ったら、うちの猫だった。
「なあ、マッチョ、母さんを知らないか」
 と話しかけてももちろん返事はない。素通りして外へ出て行った。
 腕時計を見やると、五時五分。開け放った玄関の前を、夕刊配達のバイクが横切った。
「一人か……」
 と思ったら、今度は少しだけ気分が軽くなった。
 雨はまだ降り続いている。強まるわけでも弱まるわけでもなく、全く変わらないわけでもなく、狭い振れ幅の間を、いったり来たりしている。


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2013年10月25日 (金)

なにもできない人になにかを期待する

愛して欲しい
愛してください

この鈍色の孤独を
癒して欲しい
この渦巻く虚しさを
慰めてください

私は
深い、深い
水の底
息もできずに
圧されてしまいます

愛して欲しい
愛してください

でないと あなたを 殺します

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2013年10月24日 (木)

Like humans do

一人で生まれた
あの日
なにも見えなかった

孤独という言葉も
自由という友達も
持たない僕は
いたずらに時間を咀嚼した
消化した 排泄した
そうやってすこしずつ細胞分裂して
動的平衡をたもちつつも
「私」というだれかさんを信じて
あるときは雷におびえ
あるときは月の笑顔に癒され
すこしずつ大きくなったのだ

そう すべての 多くの人とおなじように

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2013年10月23日 (水)

ランの一生

ガシガシガシガシ………。
前足で穴を掘る音が聞こえる。庭から、ではない。犬小屋からである。
ランはいつものように、そのプラスチック製の犬小屋(の形をしたもの)へ入り込み、奥の方で、ガシガシガシガシ、と穴を掘るのである。
いつの頃からやっているのか、思い出せない。もしかしたらもう十円玉くらいの小さな穴なら空いているのかもしれない。確かめてみたわけではないが。その動作を飽きることなく、毎日、思い出したようにするのである。
意図? さあ、ランにとってはそのような言葉は意味をなさない。悟りを開いたランは、目的などない純粋な犬の世界に、いつの頃からかいるのである。強いて言うなら、穴を掘るために穴を掘るのだ。彼女にとってそれは苦しみの世界へと戻ってしまわないためのまじないのようなものなのかもしれない。
最近はなぜか散歩を省略するようになってきた。家を出て数十メートルほど歩いたら、いつも持っている紐を離すのだが、しばらく所定の場所の臭いを確認したあと、私のあとをついてくるのではなく、そそくさと家へと帰ってゆくようになった。
おそらく、ご飯が早く食べたいのだろうと私は推測している。家に着いたとたんその催促をしはじめて、それ(まぎれもない白いご飯にみそ汁をかけたもの)をやると、狂ったように貪り食う。その食欲たるや17歳と半年とは思えない。人間でいうと90歳らしい。

このごろ、ランの一生のことを考える。
17年前、ランは私の母方の祖父母の家(つまり母の実家。隣町にある)にやってきた。そのころは私も小学生だったので、来たときのことよく覚えていない。きれいな柴犬で、その数年後に4匹の子どもを産んだ。そのうち1匹を我が家で引き取ったのだ。チャッピーと名付けてかわいがったのだが、遺伝的にどうやら弱い血統だったらしく、8歳かそこらであの世へと旅立った。ランにとっては、知らぬ間に我が子に先立たれてしまったのだ。
その後、飼い主の一人である祖父が死んだ。酒が原因だったが、最後まで入院を拒み、死ぬ前日まで毎日飲みつづけていたと言う。
そして2年前、もう一人の飼い主、祖母が倒れ、長期的に入院することになり、我が家で引き取ったのだ。
私がランを軽トラの助手席に乗せ、我が家へと共にドライブしたことを今でも覚えている。すぐにウチに馴染み、暮らしはじめた。我が家の料理も口に合うらしい。(やって来た当日、猫のモンクがすごい目で見ていたのを今でも覚えている。)
そんななかで、じつは一度命の危機に瀕している。
その場にいなかったので聞いた話なのだが、いつものように父が散歩中に紐を離したときのこと。目を離した隙に、バーン!という大きな音とブレーキ音。振り返ると、ぐったりしたランの姿。父があわてて駆け寄り、とりあえず路肩に移動させ、ぶつかってしまった運転手に話を付けていた。とにかく、手を離したこちらの責任なので謝り、そのことは一段落。ふと、ランを移動させた場所を見ると、そこにはいない。辺りを見ると、ランはなにごともなかったかのように我が家へと帰ってゆくではないか。その後、体をじっくり調べてみたのだが、とくに異常はなく、シャキッとしている。あれは一体なんだったんだろう……という一件である。

そんな不死身のランも、いつかは死ぬ。最近はそのことばかりが頭に浮かぶ。
今のところいたって健康なのだが、ある日なんの前触れもなく、思い付いたように死んでゆくのではないかと思っている。死ぬことも単なる思いつき程度の些事になってしまう、悟りの境地だ。
人間も修行を積めばそうなれるのだろうか、などと考えながら、ランと同じ目線で田園風景を眺めてみても何もわかりはしない。

ガシガシガシガシ………。
ランは今日も穴を掘る。

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